正体のわからない涙に導かれた熱演~12/8公開「市子」戸田彬弘監督&杉咲花ロングインタビュー

3年間ともに暮らした恋人・長谷川(若葉竜也)からプロポーズされた翌日に、突然姿を消した市子(杉咲花)。彼女はなぜ、失踪してしまったのか? 市子を探す長谷川は、これまで彼女と関わりがあった人々を訪ねて話を聞いていく。すると、出会う前の市子の姿が少しずつ像を結んでいくが……。12/8(金)からシネ・リーブル梅田ほかで公開中の映画「市子」は、サスペンス風の物語に引き込まれて、見終わった後には胸が締め付けられる、切ない映画だ。原作は、奈良県大和郡山市出身の戸田彬弘監督が主宰する劇団チーズtheater旗揚げ公演作「川辺市⼦のために」。サンモールスタジオ選定賞2015で最優秀脚本賞を受賞した秀作だ。公開前に来阪した戸田監督と主演の杉咲さんにインタビューした。

戸田彬弘監督と主演の杉咲花さん=12月5日、大阪市内で

――舞台作品を映画にすることは難しかったのではありませんか?

戸田 舞台作品は登場人物がモノローグで、自分の知っていることを証言していく構成でした。言葉があふれている舞台で、それぞれのモノローグを聞いていくうちに、観客は自分の中で人物像や状況を想像していく。そんな戯曲だったので、それをそのまま映画のシナリオとしてシーンに起こしたところで、原作の演劇を見た時の感じ方とは違ってくるだろうと容易に想像できました。そこで、映画化するにあたって、映画としての特性を見直さないといけないと思いました。よいアイデアがなかなか見つからなかったんですけれど、ふと「小説だったらやれるな」と浮かんだんです。それが章立てです。章ごとに主人公が変わって、市子と関わったその人の物語や日常を描いていく。その中に、いつも市子がいるという章立てにしていくと、人によって市子の印象が違ってくる。そういう構成だったら小説としても可能になる。小説の映画化だったらやれるんじゃないかと考えて、今回のような台本構成になりました。

――脚本は24回も書き直されたそうですね。杉咲さんに出演依頼をされた時は最終稿だったのですか?

戸田 いえ、17稿でした。めっちゃ覚えています。それまでシナリオで足りない部分があったので、脚本を一緒にやった上村奈帆さんと何度も話をして、大体整ったのが17稿でした。それで、読んでもらえるものになったのかなと思って杉咲さんに送りました。

杉咲 そうだったんですね。脚本と一緒に、ご自身がどれだけ映画に対して熱を帯びているかがすごく伝わってくるお手紙をいただきました。

戸田 横書きの便せんに手書きで2枚。

杉咲 自分の監督人生において分岐点になる作品だと思っていますと書かれていて、それだけの特別な思い入れのあるものに自分を必要としてくださったことが、すごくうれしくて。純粋にやりたいと思っている気持ちを届けてくださる心の美しさ(と言うと偉そうですが)。本当にうれしかったんです。

――脚本を読んで杉咲さんは「共鳴した」とおっしゃったそうですね。どんなところに?

恋人の長谷川と平穏に暮らしていた市子

杉咲 その時は「シンパシーを感じた」と言ったのですが、今は、その表現は適切ではなかったかもしれないなと思っています。というのは、脚本を読んでいてどこから来るのかわからないんですけれど、涙が出てしまったんです。感動や同情ではない、正体のわからない涙でした。何かがとんでもなく胸に迫ってきました。その感情は何なのか、知りたくなったんです。市子という人は、穏やかな暮らしをただただ求めています。それはきっと「幸福である」ということを知っているからで。では、どこに幸福を感じるのだろう? それを自分の目で見つめてみたいという気持ちがあって。だからどうしようもなく市子という人物に惹かれてしまったのだと思います。

――正体のわからない涙……物語に心が「共振」して、アンコントロールになったのでしょうね。初めてお会いした時のお互いの印象は?

杉咲 とても穏やかな空気感をまとわれている方だと思いました。ずっと同じ温度感でいろいろな話をされる。こんな戸田さんの中から、すさまじい物語が生まれていく。そのギャップみたいなものがとても意外というか、体の中で何が起こっているのだろうと。本当に不思議な方だなという印象でした。

戸田 杉咲さんは著名な女優さんですし、お芝居をされている姿をスクリーンで見ていたので、お会いする前はどんなタイプの女優さんだろうと思っていました。第一印象はすごく穏やかですごく謙虚な方だなということ。撮影中もずっと穏やかな印象があって、ちゃんと役が体の中に重くというか、強く厚くある方で、それをまとったままそこに存在しているような感じでした。僕も演劇を大学(近畿大学文芸学部)から学んでいて、そういう俳優さんをすごく信用しています。市子としても、杉咲花という女優さんとしてもコミュニケーションしやすい方だと思いました。

――撮影はいつされたのですか?

戸田 2022年の8月13日から9月2日の20日間です。

杉咲 すごい記憶力!

――関西でのロケ、東大阪、和歌山、徳島での暑い夏、どうでしたか?

杉咲 自分の暮らす場所から離れて、その期間集中的に現地にいられるということは、東京で撮影する時とは何か違った作用があると思っています。撮影中も休みの日もどこか頭の片隅に市子という人物を置きながら過ごしていた気がして、土地から受ける影響は大きかったと思いますね。

――市子を演じるうえで、一番大事にしたことは何ですか?

高校時代の同級生・北(森永悠希)は、市子に思いを寄せていたが……

杉咲 市子の関西弁、イントネーションを丁寧に落とし込めるように、また、その人の暮らしを映す所作や言動みたいなものにしっかりと向き合いたい気持ちがあるのですが、それ以外の内面的なことについては、私は、用意したり持ち込むものではないと思っています。なので、あまり役作りをした感覚はありません。でも、市子という人物を理解するうえで戸田監督が、市子が生まれてからどういう時間を過ごしてきたのかという年表や、本編には描かれていないけれど、市子と他の人たちがどういう時間を過ごしてきたのかということを、台本のようにサブテキストとして書き起こしてくださっていたので、背景を知るという意味で、それがすごく参考になったなと思っています。

――全部見せなくても映画では伝わる。映画ってそういう風になっているんですよね。

戸田 そうです。ある重要なシーンは、舞台だったら何もない場所で市子役の俳優さん一人が長いセリフをずっとしゃべるんですが、。それを映画では、セリフが一言もないシーンにしました。

――共演者の皆さんとのエピソードは?

杉咲 やはり恋人の長谷川くんを演じてくださった若葉さんとの時間はとても印象に残っています。撮影日数自体は3、4日でしたが、個人的には3度目の共演ということもあって、ご一緒できることが今回とても心強かったです。プロポーズのシーンは台本上にも特に細かな感情の指定はなくて、その時感じたことに素直に入れたらいいなと臨んだのですが、一度撮り終えた時、再現することが難しいような表現になってしまいました。正直自分でもあそこまでの感情になるとは思っていなくて。同じお芝居を繰り返すことができないというのは、俳優としてはとても情けない瞬間なんですけれど、若葉さんがそれを見てケラケラ笑いながら「精魂尽き果てたね」と言ったことが印象に残っていて。なんというか、拍子抜けしました。私は器用ではないタイプなので、そういう状況は過去に何度も経験していて、そんな時に周りの方々がどんなふうに手を差し延べてくださるかも何となく知っています。「大丈夫だよ」「休憩はさむ?」などと、優しい言葉をかけてくださる方が多い中で、若葉さんはただその事実を淡々と述べた。以前から目の前にいる人のために、ただそこにいてくれる人という信頼がある方でしたが、その言葉をもらった瞬間にみるみる安らかな気持ちになっていって、心が復活したんです。「何度もできる方がおかしいよ」というような、生活者としての感覚を大切にされている方がそこにいてくれた。本当に心強い存在でした。

市子の恋人・長谷川(若葉竜也)は、時には後藤刑事(宇野祥平)と一緒に過去に市子と関わりのあった人たちを訪ねていく

――プロポーズされた時の大粒の涙。ポロポロ泣くシーンはとても印象に残りました。だからこそ、そんなふうに幸せをかみしめていたに違いない市子の失踪が不可解で、引き込まれます。最近読んだ本の中に「人間は、人がその人をどう見るかによって社会的存在になる」というようなことが書いてありました。後藤刑事(宇野祥平)のセリフに「この女の人、いったい誰なんでしょうね?」というのがありましたが、関わった人に見えていた市子が、その人にとっての市子で、それですべてなんですよね。市子を探す長谷川くんが「市子に会って、どうしたいんですか?」と聞かれて答えた言葉がすごく切なくて……。完全にはまりましたね、監督の術中に。

戸田 (爆笑)

――市子が最初と最後のシーンでハミングしながら歩いているのはなぜですか?

杉咲 市子はやはり母を求めているというか。幸せだった時間がよみがえる歌を通じて、その幸せだった姿を自分の中で再生し、渇望していたのではないかなと思います。同じ歌を市子のお母さんが歌っているシーンがあって……。

戸田 台所で洗い物をしているシーンで、童謡の「にじ」という歌をハミングしています。

――子どもの時に市子もお母さんと一緒に歌った思い出があるのですね。

戸田 妹のベッドの横に大きく虹の絵が掛かっていますが、あれは市子が描いてくれたという裏設定で、美術部が描いてくれました。あの歌は前を向く歌なので、お母さんがつらい時にいつも歌っていたんだろうなと。あの日もお母さんは歌ったんだなということが、市子の中に染み込んでいると思うんです。これは舞台の原作にはないエピソードですが、映画オリジナルで母と子のつながりを何か作りたいということで入れました。

――これから映画をご覧になる方へメッセージをお願いします。

戸田 この映画は、たくさんの人の目から見たひとりの女の子を描いていく話です。市子が背負った境遇、してしまったことをひっくるめて、市子という人間と出会っていただいて、自分は市子とどう向き合ったらいいのか。その答えはお客さんに委ねようと思って作ったので、持ち帰って考えていただけたらうれしいなと思っています。

市子の母・なつみ役の中村ゆり

杉咲 私は市子の母のなつみ(中村ゆり)が「幸せな時期もあったんやで」というセリフがとても印象に残っています。市子やなつみが生きてきた環境は、壮絶とか苦しいとかかわいそうという言葉で形容されがちだと思うのですが、彼女たちが生きてきた時間は、その本人にしかわからないはずで。だから、そういった言葉で決めつけたり、わかった気になってはいけないということを考えさせられます。根底に「他者のことはわからない」というものがありながら、それでもあなたはどんな風に他者と向き合っていきますかということを問われている作品だと思っています。お客様がどう受け取ってくださるか、とても興味があります。

――映画のあるシーンがずっと心に残って、妙に刺さることがありますよね。

杉咲 映画を見ている時に、他者を見つめながら、自分が暮らしていることについてや、自分の大切な存在のことを思い浮かべる瞬間ってあるじゃないですか。私はそういうことがすごく大事な気がします。自分の生活と照らし合わせている。他者を見つめるって自分を見つめることでもあると思うんですよね。

――心が「飛ぶ」というか、浮遊するというか。同じ映画を見ても、そういう経験をすると自分だけの特別な体験になりますね。

杉咲 だからこそ、暗闇の中で見つめる行為というのは、重要な時間なのではないかなと思います。

――ありがとうございました。

(大田季子)

ⓒ2023映画「市子」製作委員会

映画「市子」公式サイトはコチラ https://happinet-phantom.com/ichiko-movie/index.html




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